コシヒカリの生みの親、石墨慶一郎博士銅像建立へ(福井・丸岡町)
丸岡町舟寄地区住民銅像建立へ
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コシヒカリの生みの親として知られる石墨慶一郎博士(一九二一~二〇〇一)の功績をたたえようと、出身地の坂井市丸岡町舟寄地区の住民らが、銅像建立の準備を進めていた。設置によりコシヒカリ発祥の地を広くアピールしていく考えだ。石墨博士は県農事試験場に勤務し、稲の品種改良を研究。一九五六(昭和三十一)年にコシヒカリを世に出した。食味の良さで評判が広がり、長く国内の作付面積日本一を誇っている。地区内を流れる十郷用水のパイプライン化に伴う用地の有効利用を検討する中、銅像建立の案が出された。昨年四月に約四十人で顕彰委員会を立ち上げ、会長に坂本憲男市長が就いた。
高椋西部公民館東側の空き地にブロンズ製で建立し、大きさは等身大の一・八五メートル。現役時代の写真をもとに、高く掲げた右手にコシヒカリの稲穂を持つポーズで、高さ約一・六メートルの御影石製の台座に載せた。事業費の大半は区民の寄付でまかなった。像の前には幅一・五メートル、長さ七メートルのミニ水田を作り、コシヒカリの親の農林22号と農林1号を植えて、生育状態を観察できるようにする。